
道頓堀くいだおれ発 山田六郎の挑戦はつづく
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まんてんや その3
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熊谷 真菜
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それにしても「くいだおれ」について、知っているようで知らないことばかり。
しつこく訊ねる私に、最近出版された一冊がプレゼントされた。
講談社刊『ばかたれしっかりせ』。副題に「くいだおれ会長山田六郎伝」とある。
著者は柿木央久(てるひさ)さん。
なんと著者直々、サインまで入れて、持ってきてくださったのだ。喜んでたこ焼をほおばっている場合じゃない。
えっ? 山田六郎伝?
もしかしてさっきから私が取材しているお方は、くいだおれの会長なの?
あわてない、あわてない。私の目の前の山田六郎氏は30歳、くいだおれ現社長のご長男。
実はこの名まえ、「くいだおれ」の創業者と同姓同名。つまりお祖父さんの名まえをそのまま受け継いだ人なのだ。
今はなき会長山田六郎氏は、明治38年、城崎郡香住町の村長の家の六男として生まれ、20歳のとき、大阪の繊維問屋に丁稚としてはいる。
早くから洋服の時代を予測し、独立してからも「アッパッパ」などを考案、昭和22年には兵庫県の県会議員となって、24年44歳のときに、道頓堀食堂株式会社つまり「大阪名物くいだおれ」を開業。
渡欧渡米しては、自動販売機やブロイラーなどを日本に根づかせるための先鞭をつけた、商人として、事業家として、とにかくすごい人だった。
独自の勘と経験によって、模範的なマーケティングの実践者だったということが、『ばかたれしっかりせ』から興味深く読み取れる。
著者の柿木さんは東大出身の音楽ライターで、故山田六郎氏の孫に当たり、六ちゃんこと六郎ジュニアとは、いとこ同士。
表紙裏のくいだおれ開業当時の記録写真には、木造2階建てのまえにすでに人形が置かれている。
屋号のネーミングも人形のデザインも六郎氏のアイデア。「大阪一で、日本一の食堂にするのやから、屋号は大阪を代表する名」ということで。
それでも当時はだれひとり、この屋号に賛成しなかったらしい。
とにかくおもしろくて為になる山田六郎伝の一読をお勧めする。
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